仕事終わりは曲を聴きながら帰るのがルーティーンだった。今日だってイヤホンのサイズは合っていない気がするが、無理矢理耳に押し込めば落ちることはない。購入時についてくるイヤーピースの予備はおそらく部屋のあそこにあるけれど、家に着く頃にはいつも交換を忘れてしまう。
「お、もう帰るの?」
高野の声が聞こえたのはイヤホンと耳の間に隙間ができていたせいではなく、まだ曲を流していなかったからだった。あいにく私の両耳は髪で隠れてしまっていて、高野はイヤホンをしていることに気づいていない。
「うん。タスク終えたから帰るよ」
「なんか顔、疲れてない?」
「別にいつも通りだけど」
高野隼人。唯一の同期で、昔からやたら口数が多く、そのうえ口が軽い。そんな高野とも適度な距離感を掴めていた自負があったのに、1週間前デスクの席替えがあった。そして高野は私の前の席にやってきたのだ。
「いや、絶対疲れてる。さては嫌なことでもあったろ」
高野は立ち上がり、角度違いで視線を飛ばし始める。しかしこちらが無言を続けていると、諦めたようにゆっくり腰を下ろした。
「まぁ言いたくなったらいつでも相談しろよ」
いや本当に、悲しいほど元気なのですが。
何がそう見えたのか、トイレに駆け込み手洗い場の鏡で全身をチェックする。無難なボーダーニットに洗っても皺になりにくいプリーツスカート、普段通りの顔︙目の下のくま?
でもこれは寝不足が原因というか慢性的な物だし、それにこの場所のコンシーラーはよれるから塗りたくない。
ふと、だらんと下がった髪を耳にかけてみた。すると隠れていたイヤホンが顔を出す。明日からずっとこうしていたい。どんなに動いても耳が隠れないように、軽くねじってアメピンで留めたりして。
こんな小さな変化にも、高野は何か言ってくるだろうか。でもその時は我が物顔でイヤホンを見せつければいい。そうすればきっと大丈夫。
「おはよう。え、今日なんか雰囲気違くね?」
金魚のように口をぱくぱくさせた高野に、私は軽く微笑んだ。
変えたてのイヤーピースは思っていたよりも耳にしっくりきていた。
高山一実
1994年2月8日生まれ、千葉県南房総市出身。2011年8月、乃木坂46第一期メンバーオーディションに合格。グループ在籍中の16年から『ダ・ヴィンチ』誌上で連載され、18年に刊行したデビュー小説『トラペジウム』は「平成世代が買った本1位」(日販WIN+調べ)となり、累計30万部を突破。21年11月にグループを卒業してからはソロタレントとして活動。『クイズプレゼンバラエティー Qさま!』(テレビ朝日)や『オールスター後夜祭』『私が女優になる日_』(TBS)のMCなどを務める。